まことの聖所に近づこうではありませんか
へブル人への手紙10章22節によると、至聖所の宥めの蓋と御座に近づくためには、四つの条件があります。一つ目は、「真心」で、二つ目は「全き信仰」、三つ目は「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ」ていること、そして四つ目は、「きよい水で洗われて」いることです。(順序は英語訳に合わせています。)これらを一つずつ簡単に見ていきましょう。
真心:知性によってではなく、心から神に近づきます。神は知的な難問の答えなのではありません。しかし、真心から願う思いに応えてくださる方です。見せかけや自己誇示することなく、何も隠さず、ありのまま神に近づかなければなりません。
全き信仰:ヘブル人への手紙11章6節は、
「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は…信じなければならないのです」
と言っています。自分の能力や義による信仰ではなく、神の忠実さに対する絶対的な信仰をもって近づかなければなりません。
心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ:邪悪な良心は、間違ったことや罪深い行いに関わることによって生じます。しかし、イエスの血が振りかけられることによって、私たちの邪悪な行いは赦され、私たちの心は罪からきよめられることが保証されています。
きよい水で洗われ:ヨハネの手紙第一5章6節は、イエスは水と血によって来られたと言っています。ヘブル人への手紙10章22節では、その両方の要素が見られます。邪悪な良心に振りかけられる血と、からだを洗う水です。その水は、クリスチャンの水のバプテスマであると私は考えます。新約聖書では、クリスチャンのバプテスマは、イエス・キリストの死と埋葬、復活にあずかることを意味しています。ですから、ヘブル人への手紙10章20節で言われている「新しい生きた道」とは、イエスのことです。私たちは、イエスが私たちの罪のために死なれ、よみがえられた時に耐え忍んだすべてのことに、自分を重ね合わせていくのです。
【祈り】
神さま、イエスさまの血によって、私があなたに近づくことができることを感謝します。私は、真心と全き信仰、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われてあなたのもとに行くことを宣言します。私は至聖所に近づきます。アーメン。