ご自分の豊かさを私たちに与えるために、イエスは私たちの貧しさに耐えてくださいました
申命記28章ののろいのリストを見てみましょう。自分は祝福を楽しんでいるか、それとも、のろいに耐えているのかを考えながら、その章全体を読んでください。贖われた神の子どもであるなら、私たちにあるのは、のろいではなく祝福です。特に、富と貧しさに関する祝福とのろいに焦点を当ててみましょう。
しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主のすべての命令と掟を守り行わないなら、次のすべてののろいがあなたに臨み、あなたをとらえる。・・・あなたのかごも、こね鉢ものろわれる。・・・あなたは目の見えない人が暗闇で手さぐりするように、真昼に手さぐりするようになる。あなたは何をしても成功せず・・・、いつもあなたがすべてのものに豊かになる中で、あなたの神、主に喜んで心の底から仕えようとしないので、あなたは飢え渇き、裸となり、あらゆるものに欠乏し、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主はあなたの首に鉄のくびきをはめ、ついにはあなたを根絶やしにされる。(申命記28:15,17,29,47-49)
神のみこころが、47節に表現されています。私たちは、すべてのものに豊かになる中で、私たちの神、主に喜んで心の底から仕えるべきです。「豊かになる」とは、聖書で何度も出てくる美しい言葉です。それが意味するものは、必要がすべて満たされ、さらに他の人のために祝福が残されていることです。神のみこころは、神が私たちに与えてくださるすべてのものに豊かになる中で、神の民である私たちが喜んで神に仕えることなのです。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、すべてのものに豊かになる中で、喜んで神さまに仕えることを宣言します。ご自分の豊かさを私に与えるために、イエスさまが私の貧しさに耐えてくださったからです。アーメン。