私は、子羊の血と、私の証しのことばのゆえにサタンに打ち勝ち、死に至るまでも自分のいのちを惜しみません
今の時の苦難は、やがて[復活の時に]私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。」(ローマ8:18-19)
キリストの復活が私たちにとってどれほど重要であるかを、多くのクリスチャンはあまり理解していないようです。神の子どもたちは、復活の時に明らかにされます。全被造物が首を長くして待ち望んでいます。木々も、海も、川も、山々も、みな待っています。被造物がそれほどまでも興奮しているのに、教会の多くがあまり興奮していないことは不思議です。
被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。(20-21節)
人間の罪のために、被造物全体が苦しめられました。人が罪を犯す以前は、痛みや苦しみはありませんでした。死も腐敗もありませんでした。栄光ある復活にあずかるのは、私たちだけではなく、被造物も同じであることがわかります。しかし、神は優先順位を持っておられます。私たちがその栄光にあずかるまで、被造物はその栄光にあずかりません。パウロはこう書いています。「私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています」(22節)。
パウロは「私たちは知っています」というフレーズをよく使いました。現代のクリスチャンのほとんどは「知らない」のです。神の子どもたちが現れ、新しい時代の誕生、腐敗からの解放を、被造物全体が待ち望んでいる産みの苦しみをしているということを。
【祈り】
主よ、子羊の血を感謝します。私は神の子どもたちのために備えられた栄光にあずかることを宣言します。子羊の血と、私の証しのことばのゆえにサタンに打ち勝ち、死に至るまでも自分のいのちを惜しまないことを宣言します。アーメン。