主の宮である私たちのからだ

私のからだはイエスの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮です

しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。『天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。──主のことば──わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。』(使徒7:48-50)

神が住まわれるのは、人の手で造った宮ではなく、ご自身の目的に従って、ご自身の手によって造られた宮です。その宮は、イエス・キリストの血によって贖われた信者のからだです。パウロは、コリント人への手紙第一6章13節でこう言っています。「『食物は腹のためにあり、腹は食物のためにある』と言いますが、神は、そのどちらも滅ぼされます。からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです。」また、箴言にはこう書かれています。「正しい人は食べてその食欲(たましい/英語NKJV)を満たし」(箴言13:25)。正しい人は食べ過ぎることがないと言っています。なぜでしょうか。私たちのからだは主の宮なので、大食や泥酔、不道徳、その他どのような間違った使い方によっても汚してはならないからです。からだは主のためにあり、主はからだのためにいてくださいます。私が主の前に自分のからだをささげるとき、主は私のからだに対する権利を持つことになります。

このように例えてみましょう。私が不動産を買ったら、私がその管理責任を負います。しかし、私が賃貸物件に住んでいたら、管理責任は家主にあります。私たちが自分のからだを一時的な権利を渡すだけなら、イエスは管理責任を負ってくれません。しかし、イエスが私たちのからだの所有者であるなら、その管理責任を負ってくださいます。それこそ、イエスが望んでおられる関係です。

【祈り】 

主よ、イエスさまの血潮と聖霊の働きを感謝します。私のからだは聖霊の宮であり、主がすべての権利を持っておられると宣言します。ですから、自分のからだを大食、泥酔、不道徳、またその他のあらゆる間違った使い方によって汚しません。私のからだは、イエス・キリストの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮です。アーメン。

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