父がその子をあわれむように 主は私をあわれまれます
今日の教会の大きな問題の一つは、牧会者たちの個人的な野心です。使徒パウロは、ピリピの教会でこの問題を取り上げて、こう言っています。
ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:1-3)
非常に力強いことばです。パウロは表面的な感情について言っているのではありません。もっと深い感情です。
私はこれまで素晴らしい牧師たちに出会ってきましたが、私が見る限り、今日の教会の主な原動力は「野心」です。より大きな教会を建てること、より大きな集会を開くこと、より多くの名前をメールリストに載せること、あるいは自分の存在を知らせたいといった野心です。私が皮肉的なのかもしれませんが、それでも、野心は現代のキリスト教の主な原動力であるように思えるのです。しかし、パウロは、「何事も利己的な思いからするのではなく」と言っています。
主に仕えている方々に質問があります。拡大解釈するなら、すべての信者は主に仕えるべきなので、全員への質問と言ってもいいでしょう。あなたの原動力は何ですか。あなたに行動を起こさせるものは何ですか。あなたはどんなことを語っていますか。どのように人々と関わっていますか。神の愛とあわれみが動機となっていますか。ヨハネの手紙第一4章7節は、次のように勧めています。「愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。」
【祈り】
主よ、あなたが私をとても大切に思ってくださっていることを感謝します。私は、神の愛とあわれみが原動力となることを願います。父がその子をあわれむように、主は私をあわれまれます。アーメン。