よみがえりのいのち

私は、子羊の血と、私の証しのことばのゆえにサタンに打ち勝ち、- 死に至るまでも自分のいのちを惜しみません

レビ記17章11節は、「肉のいのちは血の中にある」と言っています。イエスがその血を流されたとき、ご自分のいのちを注ぎ出されたのです。私は、神のいのちが全地に解き放たれたと理解しています。しかし、その意味を完全に理解することはできません。

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」                                        (ヨハネ6:53、54)

私たちの贖いは、復活の時までは完成しないことを、心に留めておいてください。ピリピ3章12節でパウロは、「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして追求しているのです。そして、それ ―「死者の中からの復活」(11節)―を得るようにと、キリスト・イエスが私を捕らえてくださった」と言っています。

自分のからだはそれほど重要ではないと考えている人もいます。しかし、神は、私たちのからだをとても重要なもの、聖霊の宮だと言っています。私たちのからだは、「奇しいことをなさって、恐ろしいほど」(詩篇139:14)のものです。また、神は私たちのからだを朽ちた状態のまま放っておくことはありません。イエスのような栄光に満ちたからだによみがえらせてくださいます。贖いは、イエスの犠牲の完成形であり、復活によって成し遂げられるのです。

【祈り】

 主よ、子羊の血を感謝します。私はパウロのように、死者の中からの復活に達することを追い求めます。私は、子羊の血と、私の証しのことばのゆえにサタンに打ち勝ち、死に至るまでも自分のいのちを惜しまないことを宣言します。アーメン。

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