私は聖霊によって神に近づくことができます
聖霊は人格を持っています。それは重要な事実です。それだけでなく、父なる神が主であり、御子が主であるのと同じように、聖霊も主です。三位一体の御父と御子と同等の存在です。ですから、私たちは、御父と御子を敬うように、聖霊を敬わなければなりません。
コリント人への手紙第二3章17節で、パウロは簡潔にこう述べています。
「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。」
この節には、律法や律法制度の束縛と自由との対比が見られます。そして、自由を得る唯一の道が示されています。聖霊がおられるところ、そこに自由があると言っています。
多くのクリスチャンは、自由について非常に奇妙な考えを持っています。「踊りながら賛美できないなら自由がない」とか、「自由というのは、全員が手拍子をすることだ」などと言う人がいます。説教者の中には、「講壇上で足を踏み鳴らして叫ぶことができないなら、自由ではない」と考える人もいます。
自由は、教会の特定のプログラムに従うことではありません。手を高く上げるなどのような、特定の動きをすることでもありません。それも自由と言えるかもしれませんが、また容易に束縛ともなり得ます。聖霊によって促されているのか、それとも宗教的な伝統からそれをしているのかによって違ってきます。宗教的な伝統は束縛を生み、聖霊は自由を生み出します。
【祈り】
主よ、あなたのもとに行くことができることを感謝します。私は宣言します。聖霊がおられるところには自由があります。私は、聖霊によって神に近づくことができます。アーメン。