私は代価を払って買い取られました。私は神のものです
マタイの福音書13章45~46節でイエスが語られたたとえ話は、私たちの贖 いの素晴らしさを最も美しく表現していると思います。
天の御国はまた、良い真珠を探している商人のようなものです。高価な真珠を 一つ見つけた商人は、行って、持っていた物すべてを売り払い、それを買います。
このたとえは、人間のたましいの贖いの描写です。イエスは観光客ではなく、生 涯にわたって真珠を扱ってきた商人なので、一つひとつの真珠の正確な価値を知っています。イエスが買った真珠は、たった一人の人間のたましい、つまり私たち一 人ひとりのたましいです。そのために、自分が持っていたすべてのものを犠牲にし たのです。
私たち現代人の文化に置き換えて、その商人が自分の妻にそのことを告げた時の 情景を思い浮かべてみましょう。
「私たちの車を売ってきたよ。」
「車を売ったですって? まあ、少なくとも住む家があるから大丈夫ね。」 「いや、家も売ったんだ。」
「どうしてそんな馬鹿げたことを!」
「今まで見たことがない美しい真珠を見つけたんだ。そんな真珠をずっと探して きた。全財産に値するほどのすごいものなんだ。ほら、見て。」
これを、あなたはどう受け止めますか。私たち一人ひとりは、イエスが持ってお られたものすべて、つまりイエスの血にさえ値する、かけがえのない価値ある真珠 として見ることができるでしょう。
【祈り】
イエスさま、私を買い取ってくださったことを感謝します。私は、神さ まが買い取ってくださったかけがえのない真珠であると宣言します。私は代価を もって買い取られました。私は神さまのものです。アーメン。