私たちに癒やしを与えるために、イエスは打たれました
感謝を捧げることには、大きな可能性が秘められています。奇跡を行う神の力を 解放するだけではなく、その神の力が働いたあとに感謝をささげることもまた、受 けた祝福を確実なものとするのです。
ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。彼らは 遠く離れたところに立ち、声を張り上げて、「イエス様、先生、私たちをあわ れんでください」と言った。イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、 自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。 そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえ ながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア 人であった。すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかった か。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って 来た者はいなかったのか。」それからイエスはその人に言われた。「立ち上 が っ て 行 き な さ い 。 あ な た の 信 仰 が あ な た を 救 っ た の で す 。 」 (ルカ17:12-19)
ツァラアトに冒された十人は全員が、肉体的に癒やされました。しかし、感謝す るために戻って来た一人には特別なことが起こりました。イエスは、「立ち上がっ て行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。この
「救った」が、ギリシャ語の sozo です。s ozo はほとんどの場合、神からの肉体 的、あるいは一時的な備え以上のものを示唆しています。その言葉は、救いに含ま れるすべてのものを表します。
ツァラアトに冒された人たちには一つの重要な違いがありました。九人は単に肉 体的な意味での癒やしでした。感謝するために戻って来た一人は、肉体的に癒やさ れただけでなく、霊的にも癒やされました。彼のたましいは救われ、神との正しい 永遠の関係に導かれました。他の九人は、部分的、一時的な祝福を受けただけでし た。一人だけが完全で永遠の祝福を受けました。その違いは、感謝をささげたかど うかでした。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。感謝をささげるこ とは、完全で永遠の祝福をもたらすことと、私に癒やしを与えるために、イエスさ まが打たれてくださったことを宣言します。アーメン。