感謝しようではありませんか
神に心から感謝はしているのに、その気持ちを神に伝える時間を取らない人がいます。もし、あなたの子どもがあなたに全く感謝してくれなかったら、どう感じるでしょうか。「ありがとう」と言わず、感謝の気持ちも表さないで、親のあなたがしてくれたことを当然のように受け止めていたら、あなたはどう感じるでしょうか。
残念なことに、多くの神の子どもたちが神をそのように扱っています。それは神の目に喜ばれることではありません。私たちは神が私たちのためにしてくださることに感謝し、感謝の気持ちを表す時間を持つ必要があります。私の好きな箴言の一節です。「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる(英語NKJVでは、「導かれる」)。
人生のあらゆる段階で立ち止まって神を認めるなら、神が私の道を導き続けてくださると確信できるのです。私はそれを経験から学びました。「神を認めるとはどういうことか」と思うかもしれません。最も簡単で最善の方法は、神に感謝することです。神がしてくださったことと、神の誠実さに対して、「ありがとうございます」と言うのです。そうすれば、神がこれからも誠実でいてくださるとすぐに確信できるでしょう。これまであなたを助け導いてくださってきたように、これからもあなたを導いてくださいます。その確信の鍵となるのは、感謝を捧げることによって主を認めることです。
私が東アフリカにいた時、養女にしたアフリカの少女の部族の言葉には、「ありがとう」を意味する言葉やフレーズがないことを知りました。「ありがとう」を言わないなんて、想像できますか。そして私は、聖書が伝わったところだけが、「ありがとう」と言うことを学んだのだということに気づきました。感謝することは、神の恵みの一部なのです。
【祈り】
主よ、あなたが私にしてくださったすべてのことに感謝します。私は、人生のあらゆる段階で立ち止まって、神さまに感謝することで神さまを認めます。私は感謝を表します。アーメン。