ご自分の豊かさを私たちに与えるために、イエスは私たちの貧しさに耐えてくださいました
神の恵みが機能するためには、三つの基本的な原則があります。第一に、恵みは決して努力して得られるものではありません。また、努力して得られるものは恵みではありません。
恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります。(ローマ11:6)
この原則は、ほとんどの「宗教的な」人々を神の恵みから排除します。なぜなら、彼らは神の恵みを行いによって得られると考えているからです。
第二に、恵みの通り管は一つだけです。
「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」(ヨハネ1:17)。
どのような恵みの形も、イエス・キリストを通してのみ、私たちにやって来るのです。
第三に、神の恵みを受け取る手段はただ一つ、信仰によります。この真理は、エペソ人への手紙2章8-9節の三段階にまとめられています。「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。・・・行いによるのではありません。」
ほとんどのクリスチャンは、この原則が私たちの生活の他の領域における備えと同様に、経済的、物質的な備えにも当てはまることに気づいていません。聖書は無精(箴言10:4)、怠惰(箴言24:30-34)、盗み(エペソ4:28)に対して特に警告しています。これらの恥ずべき行いをしている限り、私たちは経済面における神の恵みを期待する権利はありません。ですから、私たちは、正直で、勤勉で、責任感を持つことが求められます。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまは、十字架の上で私の貧しさを負い、私を経済的、物質的な神の恵みへと解き放ってくださいました。ご自分の豊かさを私に与えるために、イエスさまは私の貧しさに耐えてくださいました。アーメン。