私たちを祝福にあずからせるために、イエスはのろわれた者となられました
キリストによる贖いの性質と全容を見ていきましょう。ガラテヤ3章13~14節です。
キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。(ガラテヤ3:13-14)
パウロはここで、申命記に記されているモーセの律法を引用しています。その箇所で、神は「死刑に当たる罪過があって処刑され…木にかけられた者は神にのろわれた者だからである」と言っています。(「木」には十字架にする木片の意味もある。)そのように、人がのろいの下にあるという証拠は、目に見える形で木にかけられていることです。
律法ののろいから私たちを贖い出すために、キリストはのろわれた者となってくださいました。これは、十字架にかかった時に目に見える証拠となりました。キリストは、すべての罪と神への不従順による神ののろいのゆえに、のろわれた者となる必要があったのです。
十字架で起こったことの奥義とは、神が命じた交換があったことです。それは、目には見ることができず、聖霊と聖書による神の啓示を通してのみ知ることができるのです。キリストはのろわれた者となりました。私たちの罪と不従順によるのろいを負われたのです。それにより、私たちはキリストを信じる信仰を通して、罪を知らないキリストの従順による祝福にあずかることができるのです。
【祈り】
イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。律法ののろいから贖い出すために、キリストが私のためにのろわれた者となられたことを宣言します。私を祝福にあずからせるために、イエスさまは、のろわれた者となってくださいました。アーメン。