私のからだは、イエスの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮です
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、良心が麻痺した、偽りを語る者たちの偽善によるものです。彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。神のことばと祈りによって、聖なるものとされるからです。(Ⅰテサロニケ4:1-5)
この箇所でパウロはまず、結婚を断念すること(独身主義)が聖なるものとされる条件ではないと言っています。そのことが必ずしも聖なるものにつながるわけではありません。実際、教会の歴史を見ると、聖職者に独身が要求された場合、そのことが聖さをもたらしていないことは明白です。
この箇所でパウロはまず、結婚を断念すること(独身主義)が聖なるものとされる条件ではないと言っています。そのことが必ずしも聖なるものにつながるわけではありません。実際、教会の歴史を見ると、聖職者に独身が要求された場合、そのことが聖さをもたらしていないことは明白です。
パウロは食事に関して、「神が食物として造られたものはすべて良い」と言っています。しかし、神が造られた良い食べ物は、それに混ぜる物や調理法によって有害になる可能性があることを忘れてはいけません。ですから、時間と努力を惜しまず、有益なものと有害なものを見分けてください。聖霊に助けてもらいながら見分けてください。
【祈り】
主よ、イエスさまの血潮と聖霊の働きを感謝します。私は、聖霊に助けていただきながら、私のからだに有益なものと有害なものを見分けることを宣言します。なぜなら、私のからだは、イエスさまの血によって贖われ、聖められた聖霊の宮だからです。アーメン。