大胆に近づく

恵みの御座に近づこうではありませんか

神の御座は、恵みの御座なので、私たちは大胆に近づきます。自分の功績に基づいてではなく、イエスの御名によって、賛美と感謝をもって、責められることなく御座に近づきます。神が私たちに来なさいと言ってくださっているので、大胆に行くことができます。へブル人への手紙の著者はこう書いています。

「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます」(へブル10:19)

神に祈る時は、罪責感を持ったまま祈るべきではありません。罪責感は、祈りの答えをもらうための大きな敵です。罪責感の基本的な原因は、自己正当化しようとすることにあります。自分を正当化する必要があると感じているなら、決してあなたの満足のいく結果にはなりません。自分を正当化しようとするあらゆる試みを捨てて、ただこう言うのです。「私はみことばに従って、イエスを信じる信仰によって私に与えられたイエス・キリストの義を、信仰によって受け取ります。私は良い行いを誇ることも、悪い行いを恥じることもしません。それは恵みの御座なので、大胆に近づきます。自分が本当に良い人間であるかどうかを判断するために、自分の心をいつも調べたり、分析したりしません。」イエスの血が私をすべての罪からきよめてくださった神に信頼します。そして、最も聖なるお方のおられる御座に、大胆に近づきます。それが、近づくための輝かしい方法です。

「心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか」(へブル10:22)。邪悪な良心は、祈りの答えから私たちを遠ざけてしまいます。イエスの血が私たちの心に振りかけられ、イエスがなされたみわざによって、私たちは赦され、きよめられたという事実を完全に確信して受け取り、全能の神の御前に大胆に行かなければなりません。

【祈り】 

主よ、私は大胆にあなたのもとに行くことができることを感謝します。イエスさまの血は私をすべての罪からきよめてくださったので、私は最も聖なる場所である御座に大胆に近づくことができると宣言します。私は恵みの御座に近づきます。アーメン。

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